diary
2026年9月3日
Wednesday
時間でいえば11時間近く寝ていたにもかかわらず、睡眠が浅かったのか疲れは全く取れず、13:30頃に目が覚めた時には既に疲弊し切っていた。頭も体も動かず、飯を食べ風呂に入って外出の準備を済ませた頃には16時を過ぎていた。近所のドトールで言い訳のような短時間の作業をした後に家でバイト。その後ランニングに行こうと思っていたのだが、やる気が起きず、かといって眠ることも出来そうになかったので、近所のバーに酒を飲みに行った。そこでマスターからこの町を巡るあまりに濃密な物語を聴き、目眩がするほどの感動を覚えた。忘れないうちに日記に書きたいと思う。
ちょうどそのバーの目の前にある老舗の中華料理屋が先日潰れたところだった。その話をきっかけに、この町からなくなっていったものの話になった。最近は続々とこの町から馴染みの場所が無くなっていく。大好きだった洋食屋、中華料理屋、ラーメン屋、そして愛している銭湯も今月で無くなってしまう。空いた場所にはすぐにまた消えるであろうチェーンが入るのだろう。そして一昨日、私の実家の取り壊しが始まった。
マスターもこの町で生まれ育った人間だった。私がまだ生まれる前のこの町について話すうちに、マスターの語りは物語へと近づいていく。飲食店を営んでいる人間にしか分からないこの土地の特色に——例えば、先日突然つぶれてしまったラーメン屋がなぜ潰れてしまったのか——ついて興味深く聞いているうちに、私はふと、数年前までこの町にいた、所謂名物おじさんのことを思い出していた。そのおじさんはレザージャケットにサンバイザーを着けた特徴的な見た目をしており、また常に酒を持っていた。常時酔っ払っており、ニヤニヤしながら独り言を話し、通行人に絡む、典型的な不審者であった。数年前まで、そのおじさんとは毎日この町のどこかしらで遭遇していた。ある時は、居酒屋の前で、その居酒屋の女将であろう女性に「いいかげんにして!」と言いながらほうきでシバかれているのを目にしたこともあった。私とそのおじさんが最も接近したのは、ある晩、幼馴染と3人で松乃屋でとんかつを食べていた時のことである。11時ごろの閉店間際に私たちが晩飯を食べているところに、突然おじさんが現れた。店に入って来るなりうわごとを言いながら店員に絡みはじめ、ワンオペだった店員は相当頭に来たようで、激怒しながら「帰ってください!」とおじさんを追い出そうとしていた。その間、私たちは極度の緊張状態でとんかつを食していた。その後、勇敢にもおじさんを追い出した店員さんが私たちの机に来て、「ご迷惑おかけしてすいません、これ、よければ」といってとんかつを一枚タダで出してくれた。当時の私たちは当然の事ながら金欠であったため、とんかつ一枚をタダで食せたことは僥倖という他なかった。そういうこともあって、私はその不審者おじさんのことが嫌いではなかった。ギター(ウクレレ?)を持ちながら道端で歌っている姿には少なからずカッコよさがあった。そして何よりも、ベッドタウンであり、交通の便が良い事以外に何も特色がないこの町に名物おじさんがいることが嬉しかった。当然の事ながらそのおじさんは周囲に少なからず迷惑をかけていたし、不審者そのものであるため、町から歓迎されることはなかったが、私はその姿を見るたびに怯えつつも少し、嬉しかった。しかし、数年前から彼のことを見ることはなくなった。真相は誰にも分からないが、おそらく亡くなったのだろうと思っていた。
マスターにこの町の話を聞きながら、もしかしたらあのおじさんのことについても何か知っているのではないかと思い、「数年前までこの町に変なおじさんいましたよね」と尋ねてみたところ、「あぁ、ケンちゃんのことね」と即座に答えが返ってきた。あの名物おじさんにはケンちゃんという名前があったのだ。思っていた通りこの町では昔から有名人だったらしく、周辺の飲食店の人間で知らないものはいないということだった。また、この町に新しく越してきた新卒の社会人などがそのおじさんに絡まれるという洗礼を受けるのがほとんど定番となっていたらしい。マスターもこの町からケンちゃんが消えた理由については知らないようだったが、おそらく亡くなったのだろうと語った。
このバーにもケンちゃんは来たことがあるらしい。だが、その時のケンちゃんはまだ、マスター曰く「壊れては」いなかったらしい。そして、ケンちゃんが「壊れ」る前に、最後にこの店に来た時の話を語ってくれた。
このバーには、かつてある女性が来ていたらしい。その女性は重度のアルコール中毒で、空になったグラスを離さないといった様子だった。それを見かねたマスターが——今考えれば未熟な対応だったと後悔を語りつつ——彼女のことを慮って出禁という対応を取った。しかし、出禁という措置をとったにも関わらず彼女は店に通い続けた。一人で来る際には追い返していたのだが、別の客と来る際には無理に追い返すことは出来ず苦慮していた。そしてある時その女性はケンちゃんと共に来店した。無理に追い返すことは出来なかったマスターは、その時はまだ「壊れ」ていなかったケンちゃんを裏に呼び、彼女がアルコール中毒であること、だが痛々しく飲む姿を容認することは出来ないということ、そして彼女の症状が改善することを望んでいるためアルコールを提供することは控えたいこと、などなどの事情を話し、共に退店してもらうよう頼んだ。そうすると、ケンちゃんは席に戻り、女性に向かって「いい店じゃねぇか。今日は帰ろう」といって女性を説得して退店したという。その時のケンちゃんはまるで内田裕也のようだったとマスターは語った。しかし、その時を最後にケンちゃんは店に来ることは無く、この町を徘徊する不審者となってしまったのだった。
私がかつて怯えつつも少なからず好意を覚えていたあのおじさんに、ケンちゃんという名前があったこと、そしてケンちゃんがケンちゃんになる前の物語がこの町に存在していたこと、ベッドタウンのこの町にそのような物語があったことに、私は深く感動してしまった。ケンちゃんとは、私がこの町で過ごした記憶、既に遠くなってしまった2010年代の記憶についた名前だった。思えば、ケンちゃんがいなくなった時期と、この町が変化していった時期は同じくらいだ。ケンちゃんを悼むようにして、この町に特有のものは姿を消していった。そして、あと数年のうちに私もこの町から消える。変わり果てていくこの町を見ながら、もうこんな町に未練などなく、特に感傷を覚えることもなくこの町を去るのだろうなと最近は考えていたが、しかし、やはり私はこの町で生きてきたのだった。そしてその風景のなかにはケンちゃんがいた。
マスターの話を聞き終えた後、こんな話を聞いてしまったらこの町を去るのが寂しくなりますね、と言ったところマスターから「そういう人の方が頻繁に帰って来るんですよね」と返された。おそらく、私もこの町に何度も返ってくるだろう。ケンちゃんもいつか帰ってくるのだろうか。
2026年9月2日
Tuesday
昼から「修論を書く会」の第一回目をやってきた。読んで字のごとく修論を書かなければいけない人間が修論を書く会なのだが、個人的に修論を書く時間と場所を確定させたいという思いから企画した。15:00-18:30までの予定だったのだが、15時頃に部屋を開けた時には誰もいない。1時間後、いない。2時間後、いない。3時間後、残り30分くらいで部屋が閉まるというところでTakuがやってきた。ギリギリで駆け込んで出席点をもぎ取るような会ではないのに、なぜこんな時間に?という疑問を抑えつつ共に作業。その後はバーキンで腹ごしらえをしつつ作業を継続。今日は累計で7時間程作業をしたはずなのに15分くらいの成果しかでず、かなり疲弊している。
2026年9月1日
Monday
姪が産まれてから一ヶ月ほどが経ったらしい。今日、ベビーカーデビューを果たしたという連絡が来た。この一ヶ月の間に、姪はどんどんと大きくなり、この前に会いに行った時とは見違えるような成長を遂げている。それに対して私はこの一ヶ月の間に何も成長していないし、修論も全く進んでいない。僕が一日に書く字数よりも、姪が一日に成長するグラム数の方がおそらく多い。
2026年8月30日
Saturday
ここ数日はまどマギ新作によって生活がめちゃくちゃになっている。そこそこちゃんとしていた生活習慣はまどマギ新作の最速上映を0時から観に行ったことによって破壊され、そこからろくに寝ないまま二回目を見に行ったことによって体力もなくなってきた。そのおかげでここ数日は修論の進捗どころか文章を読むことすらできていない。しかし、まどマギ新作は良かった。ありがとう、それしか言う言葉が見つからない。詳しい感想はポッドキャストで話したので置いておくとして(Spotify)、毎日友人と会っては感想を言い合っている。例によってオタクの先輩の家にお邪魔し、感想を言いがてら激辛の麻婆豆腐を振舞ってもらった。俺は明日腹を壊すだろう。ありがとう、まどマギ。
2026年8月23日
Saturday
昨日から両親が我が家に移住してきて、5年間続いた祖母との二人暮らしが遂に終わってしまった。あらかじめ言っておくと私と両親との関係は非常に良好である。しかし、突然家の住人が倍に増えるということについては、増えた人が誰であれ少し戸惑いを覚える。二人暮らしをしている間に私があらゆる部屋に分散させておいていた服や、存在を完全に忘れていたCD、洗面台に積み重ねていた既に中身がない歯磨き粉の容器、醤油、ガタガタの机、壊れて何もコピーできないコピー機などが一掃され、家は幾何学的に整然とした様子になっている。部屋が片付いて綺麗で清潔になったと言えば聞こえがいいが、それはあまりにも進歩史観すぎる。確かに二人暮らしをしている間、部屋は多少散らかっていた。しかし、散乱した事物には生活の過程で積もった意味が与えられていた。そこには調和があった。ルカーチ的な意味で古代ギリシア的な風情すらあった。しかし、整然と整理された現状の部屋に置かれた事物にはもはや意味は内在していない。私は我が家にいながら故郷から追放されてしまったのだ。
2026年8月18日
Monday
昨日から隣の部屋が工事をしていて、朝早くからマイブラがライブしてんのかってくらいの騒音が鳴るため、寝不足であまり頭が働いていない。寝れもしないけど起き上がれない、という状態を13時ごろにやっと抜け出し、祖父の墓参りに行くために千葉に向かった。メトロで行った方が安いのだが、最近は横須賀線から見る風景が好きなのでJRで向かった。お盆が終わった直後だからか私以外には誰もいなかった。墓を洗い、線香をあげ、気づけばもう17時前になっていたので、そのまま帰宅。途中で図書館により少しだけ読書。電車の中ではハーバーマスの「近代 未完のプロジェクト」を読んだ。ハーバーマスは、フランクフルト学派第一世代に比べて論じている対象にあまり惹かれないことや、イスラエル支持ということもありあまりいい印象を持っておらず全然読んでいなかったのだが、今回読んだこの論文は意外にも非常に面白かった。特に、アドルノの中でも『美学理論』に依拠してモデルネを論じている点が意外だった。夜にバイトを終えた後はランニングをした。臨港パークから山下公園までの5kmコースに挑戦してみたのだが、海が近く気持ちがいい。このまま本牧のあたりまでいってもいいなと思ったのだが、終電が近づいていたので帰宅。今度は本牧から根岸あたりまでを走ってみたい。
2026年8月17日
Sunday
二日連続で修論を書くふりをしつつおしゃべりに費やしてしまった。昨日は他大の院生仲間と集まって昼から夜まで修論以外の話をし、今日は大学の学生室でひたすらおしゃべりをしてしまった。流石に罪悪感が産まれてきたので、明日からはちゃんとしたいところだが、明日は祖父の命日なので、墓参りに行ってくる。そういえば、祖父が亡くなってから今年で10年になる。
2026年8月16日
Saturday
奄美から帰ってきた後に、東京で論文を書かなければならないという事実を否認するかのようにして向かった札幌旅行からも3日前には帰ってきてしまい、完全に万策尽きたという思いで、ちょうどお盆が終わってしまった。お盆の間は普段は働いている友人も休みなので、一緒にアニメを見たりマリオパーティをやったりはま寿司を食べたりしていた。そして、私の実家のリビングでアニメを見たのだった。幾度となく繰り返された実家アニメ視聴会だが、今回の会にはある種特別な意味合いが込められていた。というのも、実家が今月で取り壊しになるのだ。リフォームするためという前向きな理由ではあるため、そこまで落ち込んだり感傷的になったりするようなことでもないのだが、とはいえ生まれ育った家が壊れた上で建て替わるという事実は咀嚼せずに受け入れられるようなものではなく、なにかしらの儀式が必要ではあると思っていた。リフォーム後は両親に変わって兄夫婦と姪が住み始める予定なので、これまでのように深夜に突然幼馴染を呼んでラブライブを見て泣くといったことは出来なくなる。そういった意味で、実家で幼馴染と最後のアニメ視聴会を開いたのだった。何を見るかは決めておらず、過去この家で見たアニメ映画の中から一本を選んで見ようということになり、dアニメストアを眺めながら、選ばれたのは『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』だった。言わずと知れた名作映画だが、この映画のクライマックスのライブ会場は横浜アリーナということもあって、うってつけの映画だった。あまりにも感動的な名曲「M@STERPIECE」が流れ、無数に繰り返された実家でのアニメ視聴は最終回を迎えたのだった。
それにしても、『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』は不思議な映画だ。アニメシリーズの完結編でありながら、所謂お祭り映画といった趣はほとんどなく、画面とストーリーは終始緊張感に満ちている(手放しに楽しい雰囲気なのは「ラムネ色 青春」が流れている時くらいだ)。起承転結というよりも、底へ底へと落ちていくような陰鬱な雰囲気が、最後「M@STERPIECE」で一気に昇華される。この曲のためにこの映画があるというのは決して誇張ではなく、長めのMVと解釈してもいいくらいだ。曲の強度とライブシーンの映像で全てを捻じ伏せようとする腕力に満ちたこのスタイルが、僕はとても好きだ。アイドルアニメ映画として理想的な一本であるように思う。勿論、「?←HEARTBEAT」が流れてわちゃわちゃするのだって大好きだが。
2026年8月9日
Sunday
中学の同期と久しぶりに会ってきた。会うのは成人式以来なので4年ぶりくらいになる。久しぶりに会ったその同期は中学のころから見た目も声もほとんど変わっていなくて、しいて言えば少しカッコよくなっていた。逆に俺の顔は変わった? と聞いてみたところ、ちょっと大人びた感じがする、と言われた。苦悶の跡が刻まれているということだろう。ご飯を食べた後、地元の中学を見に行くというベタベタな行為をした。そして最後の期末レポートが終わり、ついに修論に専念できる。といっても、明後日からは札幌旅行なのだが。
2026年8月8日
Saturday
一昨日まで奄美大島に行っており、更新が滞っていた。10余年前に初めて奄美に行って以来私の故郷は奄美にあり、そういった意味でほとんど帰省といってよいだろう。島にいる間、ずっと原付で島を走り回り、いい感じのビーチがあれば泳ぎという生活をしていた。夜には満天、とはいかなかったが、雲の切れ間から星が溢れていた。朝には青みがかった空の向こうから金色の朝日が登ってきた。これだ、これなんだ、俺はずっとここにいたんだ、タスクとかキャリアとかいつ乗っても混んでいる電車とか書いても書いても終わらない期末レポートとか、巨大すぎてもはや視界に入っていない修論とか、そういうのは全部夢で、俺はやっと現実に戻ってきたんだ───────そう思っていたのもつかの間、巨大な台風が島に迫ってきているらしく、島民の方々にも「この分じゃそうとう酷いことになりそうだ」と言われ、晴れているうちに帰ることになった。そうして現実は夢へと逆戻りし、悪夢の中にいる。こっちに帰ってきて、最寄り駅から家に帰る途中に空を見上げると、星が1つ2つしか見えなくて、マジでバカすぎるだろ……と打ちひしがれつつ、1つ2つあるだけでもマシかもしれないと思い、なんとか夢を耐える。
2026年7月31日
Thursday
本格的に不眠ぽくなり、それに伴って胃が完全にやられてしまい、観念して医者にかかったら、胃カメラをすることになった。胃にカメラを入れなくてはならない年齢になったということだ。まず採血のために左腕に針をさされ、何かよく分からないがチューブにつながれた。恐れがないわけではなかったが、抵抗しても仕方がないので何考えずされるがままになった。その後のどに麻酔をかけるために人生くらい苦いスプレーを喉奥にかけられ、悲しくなった。すぐに効いてきて唾を飲み込めなくなった。これはどうすればいいのだろうと思っていたら看護師さんから「唾を飲み込むとむせちゃって危ないので、ここに出してくださいね」と顔の周りにティッシュを置いてくれた。humanityとは何かについて考えざるを得なかった。ついに胃にカメラを入れるために全身麻酔をかけるということで、聞かなかったらどうしようと不安がっていたら、そこから完全に記憶が途切れていて、気がついたらベッドの上で目を覚ました。どうやら3~40分ほど経っているらしい。体が鈍かったのでその後も寝かせてもらい、ふらつく頭で説明を聞いているふりをして病院を出た。特に異常はなかったらしい。安心した。しかし、これから私はどんどん体調が悪くなる機会が増えていくのだろうし、それに伴って精神もこれまでのように天真爛漫ではいられないだろう。わたしたちに許された特別な時間はとうに終わったのだ。その後はノーベル文学賞読書会。今回は曙橋の愛媛料理屋で大江健三郎の『同時代ゲーム』の読書会をした。終わった後に新宿のブックファーストに行った。各棚をおしゃべりしながら見ていたら、1階だけで1時間半も経ってしまい、地下の階には閉店時間が来て行けなかった。しかし、楽しかった。「おしゃべり」とはしばしば空疎で無意味なものとして、主に思想系の文脈では侮蔑的な意味合いで用いられるが、私は「おしゃべり」以外はしたくないのだ。
2026年7月28日
Monday
ここ数日ずっと入眠に失敗しており、おそらく不眠症なんだろう。胃の調子も悪い。夏バテだろうが、夏は終わって欲しくない。
2026年7月25日
Friday
産まれた姪に会いに病院に行った。抱っこさせてもらったのだが、あまりにもビビりすぎて呼吸が上手くできず、酸欠になった。その後は本屋でプレゼントのための絵本を買って来た。絵本の棚をちゃんとみたのははじめてだったのだが、0歳児向けの絵本など各年齢に向けた絵本がそろっており、長時間吟味してしまった。良さそうなものを3つほど購入。1年くらいは遊べるだろう。買った絵本は0歳児向けの遊んで学ぶ系のものだったのだが、「かたち」「なまえ」などあまりに純粋なテーマが設定されていて独特の硬派さがあった。最近は唯名論について調べているので、僕も「かたち」と「なまえ」について学びたい。字が読めるようになったら山内志郎『普遍論争』をプレゼントしようと思う。
2026年7月23日
Wednesday
兄に子供が産まれた。一昨日に従弟にも子供が産まれたから、めでたいこと尽くしの週だ。10歳くらいから声が低くなりはじめ、顔が老け腰が曲がりはじめた私も、ついに名実ともに"おじさん"になったというわけだ。それも祝うべきだろう。今日はあらゆるものが祝われるべきだからだ。21時にバイトが終わり、まだ到底寝れそうにはなかったので、ランニングに向かった。友人と通話をしていると「そこから2kmくらいしたところに、マジで美しい埠頭がある」と言われ、是非美しい埠頭を見に行こうと思い、走り続ける。途中に下水処理場があり、ここに飛び込んだら俺もきれいな水になれるかな?と思いながら、しかし俺は今から美しい埠頭に行くんだ、と走り続ける。見慣れた駅の見慣れない道を走りながら、いきなりあまりに美しい風景が飛び込んできて本当に驚いてしまった。この街は、まだ俺にこんな美しい一面を隠していたのかよ......(背景に追加したので是非見てほしい)。通話をしていた友人はこの町を今年の頭に飛び出して東京に向かったのだが、俺が美しさに驚嘆していると、「決めた、俺はその街に帰る」と言い始めた。人間は歩いて埠頭に行けない場所に住むべきではない。歩いて埠頭に行けるということは人間性の条件だ。今日産まれた子が15歳くらいになった時に「君が産まれた日、僕は本当に美しい埠頭に走って行ったんだよ」と言おうと決意する。その時までに、ちゃんと姪に会えるように定職につけていたらいいのだが。
2026年7月22日
Tuesday
修論を書き始めるヴィジョンはいまだ見えず、元気でもなければ疲れてもいないような気分で23:00頃に布団に入って電気を消し入眠しようかと思ったが、失敗してしまった。運動は毎日した方がいいのかもしれない、とてもつまらないけど。
2026年7月20日
Sunday
3日連続でTakuと会っており、昨日に至っては一昨日の夜に山下公園で葛西くんと3人で飲んだ後に横浜を歩き回り、当然のように終電を逃しタクシーで帰宅し家に泊め、その後一緒に大学に研究会に行った。そして今日も朝起きたら飲み会が誕生しており、赤坂で飲んだ。彼はバイト後に遅れて現れたので、現れた時に「もうTakuくんはいいよ」と言ったら「そういうことを言うんだ!」と返され、普通にかなり申し訳なくなった。思ってもいない悪いことを悪ふざけで言った直後に後悔するやつ、今週中にやめたい。その後Takuは帰り、actusと渋谷のバーで飲んだ。かなりそういう雰囲気のいい感じのバーで、そういう雰囲気になった時に備えてそういう雰囲気のロールプレイをやってみようということになり、終電を間近にして渋谷のオシャレなバーに来た2人、という体で会話をしていたら、場に当てられたのか、徐々に本当にそういう気分になってきてびっくりした。後で少し虚しくなった(フジファブリック)。
2026年7月17日
Thursday
作っている雑誌の編集サーバーで雑談をしていたら、期せずしてvol.3のキックオフ会議的な趣になり、あれよあれよという間に企画がどんどんと動き出して、スケジュールもポンポンと生まれていった。別で参加している雑誌の編集部は定例会議を開き、毎回計画的に予定を決めていくスタイルで、完全に機構が出来上がっているのだが、私たちの雑誌は基本的に雑談しながら半ば冗談で言った話が大きくなっていき、引くに引けなくなってしまうというのが毎回の流れだ。ともあれ、続いていくのは良いことだ。朝起きたら全身が凝っていて、昨日ようつべでストレッチの動画の真似をしながら全身を伸ばしたのに話がちげーじゃんと憤りつつダラダラしていたら、突然大雨が降り始め、さらにベッドから出られなくなりましたな!と思っていたらピシャリと雷が落ちて完全に目が覚めてしまった。横浜の紀伊国屋に昨日でたアドルノ『美学講義』を買いに行き、ベローチェで早速読んだ。まだ数ページしか読んでいないが、これは素晴らしい本の予感。アドルノについての発表の用意をしていたのだが、久しぶりに、4時間近く机に座って200字しか書けない奴をやって、体が徐々に研究モードになってきた。しかし、修論を書き始めるビジョンはまだ見えない。
2026年7月15日
Wednesday
今日で春学期の講義が、補講が一つ残っていることを除けば(そしてその補講で私は発表しなくてはならないのだが)、全て終了した。秋学期は修論に注力するために講義をほぼ取らない予定なので、私が修士課程で受ける講義はほとんど終わったことになる。正直、この前入学したばかりなのにというなんのオリジナリティも面白味もない感想が平然と出てくるくらいには実感がなく、修論を書き始める気配もない。この夏休みには旅行の予定を二つも入れてしまった。秋学期からは同期の何人かが留学に行くらしい。出発前に飯にでも行くだろうが、会えるのはのこり数回だろう。それも実感がない。そもそも、全般的に現実感がない。ここ最近はランニングと寝る前のストレッチにはまっているのだが、それも現実感を希薄にしている原因の一つかもしれない。昨日、晩飯を食べるのが遅くなったのでキッチンの下の引き出しに残っていたサッポロ一番に、野菜カゴに残っていたデカいたまねぎをまるまるひと玉いれて食べたら、体臭が完全にタマネギになってめちゃくちゃ笑ってしまった。朝ごはんには豚肉と玉ねぎの炒め物が出てきた。ちなみに、タマネギの1日推奨接収量は4分の1玉らしい。
2026年7月9日
Wednesday
ネイティヴ講義が終わった。結局ドイツ語を聴けるようにも話せるようにもならず、毎週固く口をつづんで石のように、しかし汗を大量に流す謎のクリーチャーになっていただけだったが、一学期乗り切ったというだけで俺の完全勝利だ。あとは火曜と水曜に講義を受ければ今学期はおしまいになる。毎度のことながら、一学期はかなりスピーディーに終わる。そして、長すぎる夏休みがやってくる。今年は修論漬けになるだろう。もう書き始めていないと不味いのだが。
2026年7月6日
Sunday
生が苦しいのはある程度あたりまえのこととして、それを改善可能だと思うこと、努力によってそれを克服し幸福な「よき生」に辿りつけると思うことは逆にわれわれの生を袋小路に陥れる(「残酷な楽観性」?)。なので、現状、苦しみをどうにかして気持ちよくすることはできないだろうかと、観念論的なマゾヒストになることを意識的に心がけるべきなのではないかと考えているが、上手く行くのだろうか。月曜日は二限を受けた後に大体終電までバーに飲みに行ってしまうから疲労がたまる。
2026年7月5日
Saturday
ここ数日はイベントが多かったことから日記が滞っていた。今日は久しぶりに平穏な日だった。実家においてあったWiiとWiiU、そのソフトたちをブックオフに売りに行ったら、値段がつかなかった。俺の少年時代はゼロ円らしい。査定の間に山下公園あたりをランニングしていた。気持ちいい。とんかつを食べて帰宅。そしてポッドキャストの収録。中間報告が終わってから一週間が経ったが、やる気は依然として回復せず、評論すら読めず小説ばかり読んでいる。
2026年6月29日
Sunday
二限を受けるために甲斐甲斐しく早起きしキビキビとキャンパスに向かい講義を受け昼飯を食べたあと、やる気が全くないことに気づき学生室でお茶を飲んだり先輩と雀魂をやったりしながらダラダラと時間を潰し、もはや為す術なしと判断し4時頃に帰宅した。早起きしたこともあってかすっかり疲弊してしまい帰宅してすぐ眠ってしまった。うとうとしている最中に日が傾いてきて、ベッドに久しぶりに見る美しい光が差し込んで、何故かとても幸福な気持ちで眠りについたのだが、9時過ぎに目を覚ましたら不思議なことに気分があまり良くなく、漠然とした不快感を抱えつつサッポロ一番に大量の玉ねぎを入れて遅めの夕食をとった。その後は『WORKING!!!』を観ていた。涙が出る。何故俺はアニメに生まれることができなかったのか。あらゆる葛藤は解決されるために存在し、あらゆる苦悩は昇華されるために存在するあの世界に、何故生まれることができなかったのか。
2026年6月28日
Saturday
昨日は修論の中間報告だった。案の定、汗を滝のように流しながら、意味不明なことを口走り、教授陣を混乱と落胆に陥れてしまった。AIにハルシネーションを起こすななどとはもう言えぬ。うすうす、いや明瞭に気づいていたことだが、私はいまいつ抜けるともしれぬ停滞と空転の最中にいるのかもしれない。とはいえあくまで中間なので、ひとまずすべてを忘れて気を取りなおすのがよいだろうし、そうせざるを得ない。中間を終えた後は友人宅に行き打ち上げをした。出てきたポテトがおいしくて、手作りなことに驚いた。帰宅し、泥のように眠る。今日は13:00頃に目が覚め、14:30頃までベッドの上でダラダラし、昼飯を食べアニメを見ながら雀魂をしていたら日が暮れてきたので、これはマズいと思い外に出て喫茶店に入り小説を読んだ。短編を二つ。アラン・シリトー「漁船の絵」とアントニオ・タブッキ「とるにたらないちいさないきちがい」。どちらも素晴らしい小説だったが、特に前者は俺の小説だ......20:00からは同人誌の企画会議的なものに参加し、先輩と早速両短編についての感想を話し合った。とても面白い話を聴けた。こういう機会は何度も欲しい。普段は研究書の読書会ばかりをやっているが、小説も増やしたいなと思った。明日は二限だ。中間が終わったおかげで、急かされている感じはなくなってきた。明日からは当分は気楽に、パンの焼き方とこね方を覚えよう。
2026年6月24日
Tuesday
今日はゼミの勉強会だった。教授も含めて勉強会をするのははじめてだったので、嬉しかった。その後は流れるように晩飯を食べに行った。お店に入ったら案内された席の隣に別の先輩ふたりが偶然いて驚いた。20時ちょいに解散になり(僕のゼミの飲み会は早い時間に終わる所に美点がある)、新宿のバーに飲みに行った。明日はドイツ語のネイティブ講義がある。本当に行きたくないが、ゼミの先輩や先生には「まぁドイツにいったらもっと酷い目に会うんだし頑張んなさいな」と励まされる。講義が終わったら絶対にケーキを食べることに決定。お酒をちょっと飲みすぎて頭が痛いが、痛くなければ中間報告への不安に頭を支配されてしまうので、痛い方がマシだ。
2026年6月21日
Saturday
起きてボーっとしたあとにハッと修論中間報告でつかう外国語要旨を書き始めた。当然のように書けず、予定の時間を過ぎても書き終わらず、書き終わったらまたネイティヴチェックのためにドイツ人の先生に送るためのメールの文面を書かなければならず、読書会には二時間ほど遅刻してしまい、僕のいない間におもしろい話がされていた雰囲気だけを感じ取り、アップルティーをがぶ飲みした。その後は中華料理屋で食事会をして、いつもどおり、いつも以上に、楽しくて、気分は良くなった。帰りに、一駅手前で降りてランニングをして帰宅したら体が心地よい疲労感につつまれて、やっぱり運動っていいね、となり、お風呂で読みさしだった『職業としての政治』を読み終え、寝るか、となったところでドイツ人の先生からメールの返信が届いていた。大量に赤を入れてくださって大変ありがたかったが、それはそうと自分がいかにひどい文章を送ってしまったか、そしてこんな深夜に対応してもらわなかればならなかったほどにギリギリでお願いをしてしまったことがとても恥ずかしくなってしまい、気分は最悪になった。体から熱がサーっと引いていく感じがして、ここ最近よくなる、よくない感じだ。気持ちよく寝れそうだったのだが、アブストの修正をしていたら眼が冴えてしまった。涙が出る。こういうことが今後何度も繰り返されるだろうとおもうと、なぜ僕はここにいてこんなことをしているのだろうと思ってしまう。やはり心だ。硬い硬い心が必要だ。
2026年6月20日
Friday
指導教官から修論テーマにゴーサインがでて一安心。地獄への道順が決まっただけなのでお祝いでもなんでもないが。大雨が降っていたので何も出来ず昼過ぎまで寝ていた。午後にこれじゃいかんとおもい、濱口竜介新作の『急に具合が悪くなる』を観てきた。その後は、贅沢をしようとおもってみなとみらいにあるお気に入りのハンバーガー屋で晩飯を食べた。ジャンクフード生まれジャンクフード育ちなのでテキサスBBQ味は地元の味だ。電車に乗って帰宅していたら友人がdiscordにクリスティアン・クラハトの『死者たち』の読了ツイートを挙げていて、発作的に読みたくなって電車を降りて有隣堂で購入。panpanyaの『つくもごみ』も同時に買った。これは本当に良いマンガだ。夜はポッドキャストの収録。テーマはpanpanya。おもしろかった。収録後いつものように雀魂をやったが、一度も上がれず意気消沈して睡眠。明日は修論の外国語要旨を書かなくてはいけない。腰が重い。
2026年6月18日
Thursday
朝ではなく昼に起き、どうにも体調がすぐれず、肺が少し痛かった。頭に血がのぼってない感覚がありふらついていたので、講義を休んで横になっていた。夕方になると晴れてきて、窓から外を眺めていたら外に出たい気分になってきたので、行こう行こうと思って行っていなかった床屋に行って髪を切ってきた。髪を切った後は公園のベンチでヴェーバーの『職業としての学問』を読んだ。正しい事しか書いていない。これは100年以上前の講演だが、現代と完全に一致している全く古びていないテクストで、強度とはこれか、という感じになった。バイトと修論レジュメの最終調整を終わらせ、指導教官に送る。本番まで少し一休み......とおもったが、外国語要旨とそのネイティヴチェックの依頼が残っていた。うんざり。明日は卓球をしてマンガを読むつもりだ。早くすべてが終わり新しく何かが始まって欲しい。
2026年6月17日
Wednesday
発表資料を深夜まで作ったのち気絶。眠りが浅かったのか早めに目が覚めスマホを見たら友人から昼ごはんの誘いがあったので二度寝をせずそのまま大学へ。久しぶりに会った友人だった。彼は同期にして既にスター的な存在で、各地で調査をしたりメディアに出演したりと大忙しで、いつ会えるのかも分からなかったが、久しぶりに会えて楽しかった。彼は最近東京にいる時間が徐々に減ってきているらしく、どんどん東京が嫌いになっていっているとのことだった。「最近は東京のことをソドムとゴモラって呼んでる。このまえ渋谷でふと振り返ったらみんな塩の柱になっていた」と言っていて相当笑ってしまった。その後3限に出て、4限は遂に発表だった。あまりやったことのないスタイルの発表だったのでドキドキだったが、なんとか議論も弾んで一安心。その後はスタジオに入りバンドで作曲をした。着実に曲は完成に向かっており、如実に音は良くなっていっている。ギターは鳴らせば音が鳴るから良い。本は読んでも理解できないしキーボードを叩いても意味のある文章にはならない。
2026年6月15日
Monday
修論のレジュメの改稿作業を延々と繰り返していたら気分が落ちるところまで落ちた。今朝は早起きだったのに何故か寝覚めが良かったのだが、それは吉兆ではなく凶兆だったようで、時間が経つにつれてどんどん脳が変なんなっていって夕方頃ピークに達し危ない感じがしてきた。20時からはゼミの先輩たちにオンラインで添削してもらう予定だったので場所を変えてzoomに入った。有益なアドバイスを沢山もらっていい感じになってきたと思ったが、終わったあと校舎を出て駅に向かう途中でさっきまでと同じ感じになり、電車を待ちながらホームで、やめるか、みたいな気分になり、そういことを考えた後に考えたことにゾッとしてマジかと思う。実は先月もこういう感じになって、その時はこれまで経験したことのないくらいの不安感というか、焦燥感的なものに取り憑かれたようになった。多分これからこういう感覚と連れ添っていかなければいけないのかもしれない。ちょっとバランスを崩しただけで、時期に治るということが分かっただけで、先月落ちたのは収穫だったのかもしれない。渋谷で降りて飯屋を探す。ハトが吐瀉物を食べていて、ハトか吐瀉物になりたいと思った。博多ラーメンに替え玉をしたら落ち着いてきて、お腹を空かせるのは良くないんだと思った。起きたら生き物らしく「やるしかないっしょ」的に物事を肯定してしまうのだろうし、寝るまでは一瞬よぎった、やめるか、という気分を大事にしている。終電までちょっと時間があるし友達がたっているバーに行こうと思ったが、本当にちょっとだったので大人しく帰る。各駅停車は座っていても疲れる。早く、日本をでなければ。
2026年6月14日
Sunday
院生仲間とやっている研究会で二回目のプレ中間発表をしてきた。とはいえ前回の発表からほぼ修正が出来ていないので、自分の発表はそこそこに済ませ友人の研究について話すのがメインだった。院生同士でレビューをしあうのは独特の雰囲気がある。基本的に、相手に指摘することは自分に跳ね返ってくる。なので、「自分もできてはいないんですが......」が基本的に発言の枕詞になる。責任の所在が不明確という点では一番自由に発言できる環境とも言えるかもしれない。研究会のあとは戸山のサイゼでTakuとパスタを食べた。もう俺たちの人生には最終回が既に来ていて、これからの人生はアニメのエンドロールで小さく映されるイラスト同然なんだというような話をした。そして、やはり日本を出た方がいい。スケールが大きくなれば自我はその分小さくなる。自己を相対化するには住み慣れた場所を離れた方がいい。来年か再来年には日本を去ろう......その前に修論が書き終わればの話だが。Takuと別れた後はスーパー銭湯にでも行こうかと思ったが、水曜日の発表レジュメの進捗が不味いので喫茶店で作業。なぜか今日はそこまで動いていないのにとても眠い。やはり梅雨は嫌いだ。梅雨休みを7月までとるべきだ。
2026年6月13日
Saturday
昨日は修論のプレ中間発表で疲弊して、日記を書くことは愚か風呂に入ることすら出来ずに倒れていた。21時頃に帰宅して直後に倒れ、その後13時間ほどノンストップで寝ていた。そのお陰でいくらか体が軽くなった。今日は一日中バンドで作曲をしていた。13時に、スタジオは予約が取れなかったから、自由が丘のカラオケで作曲。3時間くらいで終わる予定が、予想以上にいい感じで、二子玉川の河川敷に移動して継続。テンションが高くなって「ばらの花」を歌ったりする。その後飯を食べて解散かと思いきや、またカラオケに入りメロディーと歌詞を考えた。1時間で入ったのだが、バイブスが高まりすぎていたため再び河川敷に行き作曲と作詞を続ける。気分が良くなって「若者のすべて」を歌っちゃったりした。予想以上にいい曲ができそう。こういうことだけしていたいと心から思う。
2026年6月11日
Thursday
昨晩の深夜麻雀で国士無双を上がれたので気持ちよく入眠し気持ちよく起きた。キャンパスの正門付近で久しぶりに会う友人と遭遇して講義までの間少し話す。博士号をとったらアカデミアをリタイアして奄美大島でチェリストになりたい、地元のこどもたちに「あのおじさん昔は研究者だったらしいよ」みたいな噂を立てられたい、みたいなことを話したら、友人に「博士号をエロのだしに使うなよ」と言われてかなり笑う。その後、ネイティブ講義を受けて虫になった。本当に毎週脳が壊れそうになる。講義後はいつものように友人のTakuとカフェでお茶をした。大好きだったイチゴのグラニータが無くなっていて悲しかったが、新しくできたメロンのグラニータも美味しかった。明日は修論のプレ中間発表がある。準備をしなければ寝れないのだが、準備が億劫だ。長期間こねくり回した計画はある一定の時期を超えたら途端に全てがつまらなくなる。それでも、やらねばとパソコンをひらき、この日記を書いている。
2026年6月10日
Wednesday
なぜか入眠が上手くいかず4時が過ぎ、やっとウトウトしてきたところで鳥が騒ぎはじめ(僕の家の裏は林だ)、また目が覚めてしまった。多分眠りについたのは5時半ごろで、11時に起きて三限に向かう。疲弊した体でルカーチの『小説の理論』についての解説を聞く。やはり『小説の理論』はめちゃくちゃ面白い。今年ベストかもしれない。もっと冴えた頭で授業を受けたかった。続けて四限に出席。講義の終わりに先生にこの前作った同人雑誌『mimetica vol.2』を献本した。なんと既に知っていてくれたようでとても嬉しい。学生室で来週の文献発表で使う英語論文を訳読。なぜ俺は30ページもある論文を選んでしまったのか。19時過ぎくらいになり、集中力が切れ部屋にいた先輩たちと話す。昨日あんまり眠れなかったんですよね、と話していたら、先輩の1人から「最近眠れなくなってきた感じですか?」と聞かれ、はい、と答えると「大学院生らしくなってきましたねぇ〜」と返され、かなり笑ってしまった。
2026年6月9日
Tuesday
雨で頭が重いが、重い腰を起こして昼過ぎに大学へ向かう。二限があったおかげで生活リズムが改善されつつある。学生室で訳読をしていたら、京大にいるはずの友人がなぜか部屋に入ってきてビックリする。先月もこっちに来ていたが、単位とかお金とか大丈夫なんだろうか。京都からやってきた友人を含め、部屋でお茶会をする。その後講義でアドルノの『美学理論』を読む。相変わらず意味不明で、片手間で読める本ではないなと思う。講義後に学生室に戻り、先輩、同期、後輩の方々と歓談。同期の友人に卒業旅行にアフリカ行こうよと誘い「いいね!」となるが、後輩の友人に「学部で通ってた大学の探検部が、アフリカに探検しに行って海賊に射殺されたらしいです」と言い緊迫感が走る。撃たれるならヘッドショットで苦しみがないほうが良いなと思う。足とか打たれたら最悪だろう。
2026年6月8日
Monday
二限を受けて疲弊するかと思いきやなぜかそこそこ元気で、閉館まで図書館で作業をした。集中力の乱れに悩んでいたので、ポモドーロ・タイマーというやつを導入してみた。これからどんどん俺はつまらなく卑小な人間になっていく。Twitterのタイムラインに、27年の懲役刑を言い渡された女性に対して「死刑にしろ」というような言葉を投げかけているツイートが流れてきて発作的にログアウトしてしまった。悪事を犯した人間にはどれだけの悪意を向けてもよいというスタンスの人間が少なくない数存在するということを考えると本当に気持ち悪くなる。これまで自分が犯してきた罪のことを思い出し、この罪のためにいつか殺されるのかもしれないという不安に苛まれる。修論中間報告のための計画書を書いていたが、この類の作業をしているともれなく自己否定モードに入ってしまう。蓮實重彦がどこかで「あらゆることは既に言い尽くされている」という諦念について論じていたが、この諦念と向き合うことが当面の課題になろう。それが達成された時が研究の終わりなのかもしれないが。家に帰ったら年金事務所から手紙が来ていて、三日前に猶予手続きをしたはずでは、と思ったが、三日前に手続きをしたのは保険料だった。助けてくれ、俺は公的な事務に殺される。
2026年6月7日
Sunday
目を覚ますと外が薄暗かったので今日は早く起きれたのかもしれないと思いスマホを見ると、梅雨入りして雨が降っていただけで、時間は12:45だった。飯を食べ、リクールの「物語の時間」を読む。難しい。ハイデガーを読んでいないと太刀打ちができなさそう。夕方、地元の幼馴染のオタクとららぽーとに『映画 ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ Bloom Garden Party』を見に行く。このオタクと見に行くのは二週間ぶり二回目、一人で見に行ったのを合わせると三回目になる。映画を見る前に書店で本を買ったのだが、レジの店員が小中の同級生だった。が、お互いとくに気づいた素振りを見せることなく、言葉を交わさずに、客と店員として受け答えをして、何事もなかったかのように事は終わった。こうして弱い繋がりは端的に無になる。今日は地元のスーパーが事故で泡だらけになったらしく、家族のLINEで騒ぎになっていたし、Twitterでもバズっていた。幼馴染のオタクは現地に見に行ったらしく、本当に羨ましい。ゴーストバスターズのラストみたいになっていたらしい。明日は二限があり憂鬱だ。いまドトールでこの日記を書いているが、この後銭湯に行って暖かくして安眠しようと思っている。
2026年6月6日
Saturday
母方の祖母のお見舞いに母と向かう。年始に新年の挨拶をしに会いに行った時は元気だったのだが、二ヶ月ほど前に体調が急変してしまった。それ以来初めての対面だった。言葉はしゃべることが出来ず、記憶もあやふやなようで、僕のことはもう覚えていないのかもしれないのではないか、と不安だったが、覚えてくれていた。ホワイトボードで筆談をする。「まご」「あたまがとってもいい」と書いてくれた。もしかしたら、大学院で研究をしているという断片的な情報以外で僕のことは忘れてしまったのかもしれないが、今日祖母が僕のことを覚えていてくれたというだけで、大学院に進学して良かった。泣いてしまい頭痛が来る。駅でジンジャーエールを買って一気に飲んだ。面会のあとは、友人たちとやっているノーベル文学賞読書会に参加するために日比谷に向かう。今回はオクタビオ・パスなのでメキシコ料理屋。予約した店に入ったらなにやら音楽レストランだったようで、席の真隣にビックバンドが大勢楽器をもって並んでいる。飲み物を注文してさぁ読書会を始めましょうかと言った直後に、バンドが爆音でジャズを演奏しはじめ、お互いの声が全く聞こえなくなってしまい、ありえないくらい笑ってしまった。結局読書会をせずにスイングをした。店を出たあと、東京駅の丸善で本を買う。次回の課題図書の『同時代ゲーム』と、細見和之の『アドルノ』をプレゼント。次回は愛媛料理を食べながら大江を読むことになった。悲しいことがあった日は一日悲しさのなかにいるべきだと思っていたが、悲しいことがあった日と喜ばしいことがあった日は共存させてもいいのかもしれない。
2026年6月5日
Friday
今日も昼過ぎに起床。区役所で年金の猶予申請。図書館についたころには17時を過ぎていた。そして友人のTakuと落ち合いカフェで会話。来年ヨーロッパに行くことを当面の人生の糧にしようということで合意。あまりに大きな収穫。電車ではオクタビオ・パスの『鷲か太陽か?』を読む。詩を読むのは久しぶりだ。なにがなにやらと思いながらページを繰っていると、めちゃくちゃいい一節が見つかる。quoteに引用。(⇦二重)
2026年6月4日
Thursday
ドイツ語のネイティヴ講義に出席した。疲弊。先週は講義を終えた後にあまりのストレスで、バイトが終わった後に近所のバーに行って深夜3時まで飲んでしまい、その結果生活習慣が壊れてしまった。今週は講義後に友人とカフェに入ったおかげで何とか持ちこたえた。何も聞き取れない、何も話せない状態で汗をダラダラ流していると、自分が虫になった気分になる。どうせなら羽のある虫になって、水たまりの上でぶんぶん言っているやつになりたい。羽虫から見たら水たまりも琵琶湖くらいデカく見えるのだろうか。
quote
われわれは、月が原因で起きる潮汐摩擦によって制動がかかり、地球の自転が長い間のうちに少しずつ遅くなってきているという事実を地学上の知識として理解することはできる。だが、一世紀に約二ミリ秒、つまり一年に五万分の一秒といった極小の時間はわれわれの肉体的実感を越えたものである。わたしにとって、たとえ人生の最後の一日がその最初の一日と比べて0.002秒長かったとしたところでそれは何ほどの意味を持つ事柄でもないだろう。しかし、われわれ人間という生き物のはかない命をはるかに越えた膨大な時間を遡るならば、地球が一年間に四百回自転していた時代がたしかにあったのだ。現に、三億七千万年前に生きていたサンゴは、四百回の日の出と四百回の日の入りに立ち会っていたのである。五万分の一秒の長短ならばどうということもないけれども、一年に日が四百回昇る世界がはるかな過去にはたしかに存在し、その四百回の曙光を浴びていた生物がこの地球上に間違いなく生を営んでいたのだ。わたしが感動を覚えるのは、化石となってであれその生物の躯が今日なお残っていて、その表層に刻みこまれた四百回の暁と四百回の夕暮の痕跡を、われわれが実際に見ることが可能であるという事実なのだ。化石サンゴの四百本の成長線を見るということはすなわち、三億七千万年前の地球に降りそそいでいた日の光を見るというのと同じではないか。
——松浦寿輝『青天有月』
僕の方に伸びてくるすべての腕を断ち切ったあとで、すべての窓と扉を塞いだあとで、すべての穴を毒入りの水で溢れさせたあとで、へつらいにも恐れにも近づくことのない「否」の岩の上に我が家を建てたあとで、自分の舌を切り、それを貪り食ったあとで、いくつもの愛に向かって、つかんだ沈黙と軽蔑を意味する単音節語を投げつけたあとで、自分自身を裁き、永遠の待機と永遠の孤独の刑を宣告したあとで、僕は三段論法の牢獄の石に耳を当て、春が休みなく進んでくる、しっとりと柔らかい音を聞いた。
——オクタビオ・パス『鷲か太陽か?』
失われた世界。それはいずれ永久に失われてしまうだろう、とふと思いあたって、彼の胸は痛む。これまで自分の身に起こったいっさいのことを、少年は忘れてしまうだろう。あとにはある種の余韻が残るだけだろう。いや、それさえ残らないかもしれない。生まれてからの三年間に、Aが彼とともに過ごした何千時間、彼に向かって発した何百万語、彼に読んでやった本、彼に作ってやった食事、拭いてやった涙――それもみな永久に、少年の記憶から消えてしまうだろう。
——ポール・オースター『孤独の発明』
カサカサッと窓ガラスを打つ音がして、窓を見やった。また雪が降りだしている。眠りに落ちつつ見つめると、ひらひら舞う銀色と黒の雪が、灯火の中を斜めに降り落ちる。自分も西へ向かう旅に出る時が来たのだ。そう、新聞の伝えるとおりだ。雪はアイルランド全土に降っている。暗い中央平原のすみずみまで、立木のない丘陵に舞い降り、アレンの沼地にそっと舞い降り、もっと西方、暗く逆立つシャノン川の波の上にそっと舞い降りている。マイケル・フュアリーの埋葬されている侘しい丘上の教会墓地のすみずみにも舞い降りている。歪んだ十字架や墓石の上に、小さな門の槍の上に、実のない荊の上に、ひらひら舞い落ちては厚く積っている。雪がかすかに音立てて宇宙の彼方から舞い降り、生けるものと死せるものの上にあまねく、そのすべての最期の降下のごとく、かすかに音立てて降り落ちるのを聞きながら、彼の魂はゆっくりと感覚を失っていった。
——ジェイムズ・ジョイス「死者たち」
寺の爺さんは私の出した幾らでもない金を持って朝から麓へ降りて、実に克明に種々な食物を買って来た。酒も多く取り寄せ、私もその夜は大いに酔うつもりで、サテ三人して囲炉裡を囲んでゆっくりと飲み始めた。が、矢張り爺さん達の方が先によって、私は空しく二人の酔いぶりを見て居る様な事になった。そして、口も利けなくなった、両個の爺さんがよれつもつれつして酔っているのを見て、楽しいとも悲しいとも知れぬ感じが身に沸いて、私はたびたび涙を飲み込んだ。やがて一人は全く酔いつぶれ、一人は強情にも是非茶屋まで帰るというのだが脚が利かぬので私はそれを肩にして送って行った。そうして愈々別れる時、もうこれで旦那とも一生のお別れだろうが、と言われてとうとう私も泣いてしまった。
——若山牧水「山旅の記」
死者たちは生きている者たちにたいして、自分の命を奪った者たちにたいして、目撃者たちにたいして、またわれわれにたいして、まったく関心がない。彼らがわれわれのまなざしを求める必要がどこにあろう。彼らはわれわれに何をいう必要があろう。「われわれ」——この「われわれ」とはこの死者たちの体験のようなものを何も体験したことのないすべての人間である——は理解しない。われわれは知らない。われわれはその体験がどのようなものであったか、本当には想像することができない。戦争がいかに恐ろしいか、どれほどの地獄であるか、その地獄がいかに正常となるか、想像できない。あなたたちは理解できない。戦火のなかに身を置き、身近にいた人々を倒した死を幸運にも逃れた人々、そのような兵士、ジャーナリスト、救援活動者、個人の目撃者は断固としてそう感じる。その通りだと、言わねばならない。
——スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』
たった独り、自分とだけ一緒にいることが耐えがたかった。個人的なだけでなく、偶然でも一回限りでもなく、そしていつも繰り返し脅迫観念にでっちあげられた愛情によってでもなく、必要不可欠だが個人的ではないつながりによって結びつけられた他者との関係があるはずだった。
——ペーター・ハントケ『長い別れのための短い手紙』
ほんとうはすべてが、もはやどうしようもないちいさないきちがいが巨大化したものだったし、人生がそれをひき連れていたのだ。もはやすでに役割は割り当てられていて、それを演じないわけにはいかなかった。メモ帳をもってきたわたしも、さらには、かれらが役割を演じていたのを見ていた、というただこのことも、また一つの役割であって、そのことにわたしの罪科があった。演技に参加していたということに。ひとは何ごとからも逃れることはできず、それぞれのやり方で、ありとあらゆることに罪を負っているのだ。
——アントニオ・タブッキ「とるにたらないちいさないきちがい」